週刊誌の鬼

adlib1948-07-04

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19480704
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 Ex libris Awa Library;19931018 山陽新聞
(文字化け修訂〝新装刊〟→ ?新装刊? → “新装刊”)
 
── 雑誌の「編集後記」は、わずかな行数ながら編集現場のザワザワ
した息遣いが伝わってくるようで面白い。特集記事では“直撃スクープ”
などとスキャンダラスな見出しが躍っていても、編集後記だけは妙にま
じめな“身辺雑記”が書かれている場合が多い。大半は編集長が書いて
いるようで、読者への“伝言”が託せる唯一の欄なのかもしれない。
 最近も興味深い編集後記があった。十月十五日号から表紙タイトルの
ロゴを一新し、“新装刊”をうたった「週刊朝日」。その前号(十月八
日号)の編集後記にこんなエピソードが載っていた。
 昭和二十三年の七月四日号に作家、太宰治の情死の相手山崎富栄さん
の日記が、表紙から裏表紙まで全二十四坪のうち十六げに載った。当時
の定価は十円。
「『修治(太宰の本名)様。私が狂気したら殺して下さい。薬は、青い
トランクの中にあります。富栄』といった生々しい話が週刊誌に載るの
も異例なら、こんなページを割いた大特集も前例がありませんでした…」
 そして、編集後記には富栄さんの父親から日記を借り出した記者から
聞いた当時のいきさつが書かれている。
 父親は初め貸すのを固く拒んだ。ところが記者は、「もし、お借りで
きないのなら、私は死ぬほかはありません」と叫び、近くの川へ駆け出
した。父親は「娘に死なれたうえ、前途のある若い記者まで死なせるわ
けにはいかない」と、日記を貸してくれたという。
 「…『死ぬはかない』という記者の言葉は、嘘ではなく、日記を借り
出すようにいいつけた副編集長が鬼のような人物で、手ぶらで帰ればき
っと殺されると本気で思っていたそうです」
 その副編集長こそ、雑誌編集・記者の間では昔から“伝説の人物”、
扇谷正造氏だった。さて、いまこのような鬼編集者は何人いるだろうか。
自分の足でエサを探し出す編集者、記者は本当に少なくなっているよう
に思う。(松田 賢弥・出版ジャーナリスト)
── コラム《現場の息遣いが伝わる編集後記 19931018 山陽新聞
…… 《編集後記 19931008 週刊朝日
…… 《山崎富栄の日記 19480704 週刊朝日》十万部から百五十万部に。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920613 六月十三日の死と愛
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040613 白百合忌
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090523 転落飛降投身
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%BB%B3%BA%EA+%C9%D9%B1%C9
 
 扇谷 正造 朝日新聞編集長 19130328 宮城 東京 19920410 79 /“週刊誌の鬼”
/大宅 壮一「文春の池島、暮しの手帖の花森と並ぶ戦後マスコミの三羽烏」1953 菊池寛賞
 
 松田 賢弥          1954‥‥ 岩手 /業界紙記者を経てジャーナリストに
 
(20100806)
 

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